東日本大震災から6年
明日で東日本大震災から6年を迎えます。被災された方々には改めてお見舞い申し上げます。
当時、私は建設会社の営業として川崎の営業所に勤務していましたが、支店は横浜の桜木町にありました。地震発生当時は支店社屋の中におり、これから会議が始まるというところでした。
揺れ始めた時「ちょっと大きいな」くらいでしたが、徐々に強くなる揺れに「これはやばい!」と感じました。ただ、最初の地震が収まった時にもまさかあんな大きな津波や原発事故につながるとは想像もできませんでした。
机の下から抜け出しスマートフォンで震源を調べると東北。震源から距離があることがわかり、これは大変なことかもしれない、と思い始めました。
テレビなどで徐々に入る情報。あのおぞましい真っ黒な津波に飲み込まれる仙台空港の様子などは今も忘れられません。
翌日は土曜日。建設会社としてはここは休むわけにはいきません。翌日は営業所に出社。一日中担当エリア内を回り、お客様や町の中を確認。川崎市内の被災状況は比較的軽微だったと思います。
それでも各所で建物の中はぐちゃぐちゃになっていました。
事務所内では壁のボードが落ちたり什器が倒れたり、倉庫内で荷崩れが起きたり、工場では設備が動いたり、ほかにもさまざまなところ、特に建物の内部の被害が多かったように思います。
その後3か月くらい、休みは月に2日もない状態が続きました。
当時、私は川崎市内で一人暮らしをしていました。
川崎では「計画停電」もありました。ある時間、2,3時間停電します。普段は電車(JR南武線)で通勤していたのですが、電車が止まるかもとも言われていましたので、自転車に切り替え約30分かけて通勤していました。
とても印象に残っている出来事があります。
ある日の夕方、計画停電で周囲の電気があまりついていない中、うす暗い中を自転車で家に帰る途中携帯電話から不気味な、当時よく聞いたあの音。「ブィーン、ブィーン」という緊急地震速報の警報音。自転車を止め、しばらく立ち止まっていると揺れ始めました。
立ち止まったところは鉄筋コンクリート製のマンションの横。少し距離がありましたので危険な場所ではありませんでしたが、結構強い揺れでした。その時聞いたマンションのきしむ音。何とも言えない不気味な音。初めて聞いたその音は今でも耳に残っています。
日本は地震が起きる国。これは仕方ないことなのでしょう。大きな地震が起きることもあります。大地震が起きると被害を全くゼロにすることはできないでしょう。しかし、地震が起きた時の記憶を忘れず、伝え、対策を考えることは被害を小さくすることにつながると思います。
東日本大震災から6年。その間にスーパーコンピューターによる解析なども進み、津波のメカニズムなどもかなりわかってきたようです。
その一方で、原発に関しては東京電力の情報隠匿などが今も問題になっています。つい先日の2017年2月14日にも柏崎原発の免震重要棟の変位量想定に関し問題が明らかになりました。
原子力発電所に地震や津波が来た時のシミュレーションなどは今も技術をもってすればかなりリアルにできるのではないかと思いますが、なぜかそういうところはいまだにアナログ感があるのは気のせいでしょうか。
福島の事故でも「想定外」という言葉が使われました。東京都市大学の教授が「想定外には二種類ある。安全対策を考える上で想定しないと決めた想定外と、本当に想定していなかった想定外だ」と話されました。東電の「想定外」は前者、すなわち、想定していたのに人為的に想定から外してしまったことが問題だと言われました。
あの様な事故があり、多くの人が苦しみ続けてる中、2度と同じことは繰り返してはいけないにもかかわらず、柏崎の様な対応は人を馬鹿にしているといわれても仕方ない。
あの地震から6年。まだまだ記憶に新しいですが、あの災害から学ぶべきところ、忘れてはいけないところがまだまだたくさんあるはずなのに一部で風化が始まっているのではないかと懸念しています。
大地震は起きないに越したことはありませんが、それでも起きてしまうもの。いかに被害を小さく抑えるか、一人ひとりが考え続けること、自分だけは大丈夫と思わないことが大切だと思います。
平和でありますように。
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